今回は1964年から2020年まで日本全国の新幹線がどのように発達していったかその様子をまとめてみましたのでご覧ください。なお、路線網の発達は時系列ごとにまとめてあります。
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「まいど舞香」様の動画を、YouTubeを見ない方向けにも見ていただくことを目的として今回の記事を作成しました。
「まいど舞香」様の作成した『新幹線 路線網の歴史』はこの記事の一番最初と一番最後に紹介しています。文章を一度読んでから動画を見ることで理解が深まると思います。
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1964年~1981年までの路線網の歴史(東海道・山陽新幹線の建設)
全ての始まりは1964年10月1日の東海道新幹線(東京~新大阪間)から始まりました。この年に東京オリンピックがあったとはいえ、これほど急ピッチで新幹線が作られたのは最初で最後かもしれません。
実は急ピッチで工事を行ったために買収費用がかなり掛かってしまったそうで、この教訓は「リニア中央新幹線」にも影響していています。「リニア中央新幹線」の建設費用はJR東海が持つため、オリンピックの2020年にはあえて間に合わせることはせず、また開業も東京~名古屋が先行的に開業する予定となっています。
余談ですが、東海道新幹線の開業一番列車は「遅延してはならない」という理由で途中までかなり飛ばした結果、東京到着までの時間が余ってしまい、定時に着くために速度を落とした結果、都区内で山手線に抜かれる事態が発生したのは有名な話です。(当時の運転士さんの証言)
三島駅は1964年開業時には駅ではなかった
実は三島駅は1964年当時まだ開業しておらず、5年後の1969年に開業します。1964年には車庫としての機能はありましたが、「三島信号場」という形で駅ではありませんでした。
1972年山陽新幹線(新大阪~岡山間開業)
1972年に山陽新幹線(新大阪~岡山間)が開業します。1964年に開業してから約8年が経過しています。山陽新幹線は夜行新幹線を走らせるために新幹線駅が多く設置されたり、到着番線が多く作られたりしていました。ただし、現実には線路の保線の関係などもあり、実現することはありませんでした。
1975年 山陽新幹線(岡山~博多間開業)
1975年、山陽新幹線(岡山~博多間)で開業します。現在の東海道新幹線の原型が手出来上がります。約11年間の間に東京~博多間の新幹線を開業させたことはすごいことですが、多くの犠牲を払って完成したのも事実です。ぜひ乗車したときには建設に携わった人を想像してみるといいかもしれません。
1982年~2014年(東北・上越・長野・秋田・山形・九州新幹線)
1982年に6月23日に東北新幹線大宮~盛岡間、11月15日にそれぞれ開業します。また、東海道・山陽新幹線は交流25000V、60Hzですが、東北新幹線は交流25000V、50Hzで新幹線でも関東と関西で周波数の違いが出てしまいました。東海道新幹線と東北新幹線と直通する話もあったみたいですが、難しかったのではないでしょうか?
また、この時東京~大宮間は新幹線は開業しておらず、185系による「新幹線リレー号」が運転されていました。
1985年~1987年東北新幹線上野~大宮延伸開業と国鉄民営化
1985年3月14日、上野~大宮間で延伸開業。水沢江刺、新花巻駅もこの時開業します。
現在も上野~大宮間を走行する新幹線は110km/h規制がかかっていて、在来線特急並みのスピードしか出しません。
既に開業していた東海道新幹線で騒音の問題が発生しており、実際に名古屋では訴訟が起こされる事態となっていました。そのため東北新幹線建設時に埼玉県内・東京都北区の住民が反対運動を起こし、通勤新線(埼京線)の建設、大宮-伊奈間の新交通システム(ニューシャトル)の建設、都市施設帯(環境空間・緩衝地帯)の設置、上野 - 大宮間の速度低下を条件に開業が認めらました。
110km/hの速度制限は果たして適正なものだったのか?
ただ、新幹線の場合は160km/hまでなら在来線と騒音が同等※となることを考えると、根拠にしたがった速度設定ではないですし、当時埼京線は103系が走っていたので、そちらの方が騒音は大きかったのではないでしょうか?
※新幹線の場合は160km/hまでなら在来線と騒音が同等というソースは忘れてしまいましたが、同じ速度で走行した場合、在来線より新幹線の方が騒音が少ないということを知っていただければいいかと思います。
そんな中1987年4月1日、国鉄が解散しJR各社に分割民営化されることとなります。
国鉄分割民営化そして1988年途中駅が5駅同時開業
1988年に民営化後、東海道新幹線(新富士駅、掛川駅、三河安城駅)と山陽新幹線(新尾道駅、東広島駅)で5駅同時開業しました。新幹線のネットワークが発達する中で開業後にこれだけ多くの途中駅ができたのは珍しいことではないでしょうか?
1990年くりこま高原駅、博多南線開業など回送線営業化
1990年3月に東北新幹線くりこま高原駅が、4月には博多南線が開業しました。
博多南線は新幹線車両で運転されますが、車庫までの回送線をそのまま使用し、車庫のそばに博多南駅を建設しました。新幹線車両を使用していますが在来線扱い。
在来線の自由席特急券を購入して博多~博多南間に乗車することができます。(新幹線との乗り継ぎ割引は適用されませんが、誤発券してしまった話は聞いたことがありますが、本当かどうかわかりません。)
博多南駅の周りには幹線道路が整備されていない関係で博多まで出るのに時間がかかっていましたが、約8分で博多まで出れるようになりました。通勤のために新幹線の回送線を営業化した路線は全国でここだけです。
また、特急しか運行されていませんが、青春18きっぷで乗ることはできません。
同年12月には上越線支線として越後湯沢~ガーラ湯沢間が開業します。元々保線基地だった裏山に「ガーラ湯沢スキー場」が開業したことで、JR東日本社員が発案してガーラ湯沢まで営業化したと言われています。
現在も新幹線に乗って東京へ楽にスキー場へ行けることから好評で、冬は上野~ガーラ湯沢間で臨時列車が運行します。東京からスキーしようと思ったら近くだと新潟・長野・福島しかないですからね。新幹線でスキーに行けなかったらガーラ湯沢まで行く人は少なかったかもしれませんね。
先ほどの博多南線とは異なりあくまでスキー客輸送のための路線で1.8kmの短い路線となっています。
東北新幹線開業から6年越しの1991年 東京~上野延伸開業
1985年に東北新幹線が開業して6年。ついに念願の東京延伸をします。東京~上野間のは秋葉原付近まで近く区間の他、建設費が莫大にかかったため、回収のために200円の特急券に加算されています。新幹線に乗った時は上野駅で降りると200円安いのでお急ぎではない人は上野駅で乗り降りてみるのもありかもしれません。(6分あったら在来線と乗り換えができます。)
御徒町駅付近で道路が陥没したり大変だったようです。
余談ですが、秋葉原駅のマックからは新幹線を見ることができます。ぜひ東京へ来たときはお立ち寄りください。
1992年山形新幹線福島~山形間開業
1992年山陽新幹線福島~山形間が開業しました。日本全国の新幹線の中で初めて「ミニ新幹線方式」が採用されました。在来線時代では板谷峠をスイッチバックしながら超えていましたが(しかも客車列車でした)、新幹線を通す際にスイッチバックは廃止され高速化を実現することとなりました。スイッチバックの名残は現在でもシェルター(雪から線路を守るためのもの)などの構造物が残っており、山形新幹線(米沢~福島間)の車窓からも見ることができます。
峠を越えていくため、新幹線としてはかなり揺れます。板谷峠の区間を乗ると「これから先カーブが連続するため車内が揺れますのでご注意ください。」と放送が流れるくらいです。この区間独特なのはトンネルの度に警笛を鳴らすことですかね。
在来線区間では交流20000V、50Hzに切替するようになっています。
1997年秋田新幹線・長野新幹線開業
1997年3月、秋田新幹線が開業します。電車でGO!でもここの区間はゲーム化されたので、鉄道が詳しくない人でもどんな路線なのかは知っている人が多かったのではないでしょうか?
このCMからも当時競合していた航空機から新幹線にシフトしたということが分かります。
また、同年10月には北陸新幹線(高崎から長野間)が部分開業しました。当時北陸方面のアクセスは越後湯沢から特急はくたかでほくほく線を経由し北陸本線を走るルートだったため、長野新幹線と案内されました。
1997年に冬季長野オリンピックに合わせて開業しましたが、並行する碓氷峠(横川~軽井沢)は交通の難所で、電車に専用の機関車を連結して峠を越えていきました。
しかし、コストがかかることや新幹線開業後の在来線維持が困難になるという理由でJR東日本は軽井沢~横川間の碓氷峠の区間を廃止、軽井沢から篠ノ井間はしなの鉄道(第三セクター)に移管されました。ただし、篠ノ井~長野間は名古屋行きの特急が走っているなど手放したくない路線であることから、篠ノ井~長野は現在もJR東日本が所有しています。
新幹線開業によって収益性が悪くなる路線について並行在来線を分離した最初の例となり、今後新幹線の開業の度に並行在来線はJRから分離する流れが当たり前となりました。
1997年 山形新幹線 山形から新庄間延伸開業
1999年、山形新幹線山形~新庄間が延伸開業します。本来は計画に含まれていませんが、県や自治体がJR東日本に建設費を無利子で貸し付けることで実現しました。自治体が費用を貸し付けた例はおそらく全国でもここだけです。
2002年東北新幹線盛岡~八戸間開業
東北新幹線盛岡~八戸間が開業。「はやて」という列車名が誕生したのもこのころです。この区間の在来線は並行在来線として分離されました。
2004年 九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業
2004年、九州新幹線新八代~鹿児島中央間が部分開業します。このとき新八代~博多間が開業していなかったため、同区間は「特急リレーつばめ」が運転されました。このとき鹿児島本線の一部区間は肥薩おれんじ鉄道に分離されました。また、電化区間にも関わらず気動車が走るという全国でも珍しい区間となっています。
2010年東北新幹線 八戸~新青森間が開業
東北新幹線八戸~新青森駅間が開業しました。これにより東北新幹線が全線開業しました。このとき八戸~新青森間は並行在来線として分離、新青森~青森間は特例で特急列車自由席に特急券不要で乗車が可能になりました。
盛岡~新青森間は全国でも珍しい新幹線の方が安い区間
ちなみに盛岡~新青森間は並行在来線の運賃が高いため、在来線で移動するよりも新幹線で移動する方が安い区間になっています。
新幹線で移動する場合5720円ですが、第三セクターを使い普通列車で移動すると5780円。なんと在来線の方が60円高いという結果となりました。
ここから分かるように並行在来線として分離後、運賃がかなり高額になってしまったということが分かります。
2011年東日本大震災と九州新幹線全線開業
2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。
個人的な体験ですが、筆者の住んでいるところも震度6弱でした。地震により東北新幹線が不通になりました。踏切はなり続いているのに電車を動かせないために乗客を降ろして放棄された211系10両編成が今でも記憶に残っています。
この影響で九州新幹線が全通する日が翌日の3月12日ですが、記念式典と記念CMが自粛となりました。この時放送されるはずだったCMです。
かつてこれほど感動するCMがあったでしょうか?筆者は感動していつも泣いてしまうCMです。このCMをみて新幹線の開業はこれほどの人を動かす力があるのだと改めて感じました。
2015年北陸新幹線長野~金沢間開業
2015年3月14日、北陸新幹線長野~金沢間が開業します。これにより北越急行ほくほく線経由する特急はくたかは役目を終え、翌日から新幹線の列車名に使用されました。
これにより北陸本線の一部は第三セクターに移管されました。24系客車を使用したニコニコ超会議号(大阪~上野間、北陸本線経由)も運転されなくなったのはこれが理由と言われています。
2016年北海道新幹線 新青森~新函館北斗間開業
2016年3月26日、北海道新幹線新青森~新函館北斗駅間が開業します。
前年の2015年には上野・青森~札幌間の寝台特急・急行が廃止
前年の2015年には北海道新幹線の工事を理由に上野発の札幌行きの寝台特急「北斗星」「カシオペア」と青森~札幌行きの急行「はまなす」が廃止。関東から札幌までの移動手段が大きく変わった年でした。時代の流れとは言え夕方から札幌へ移動することができなくなってしまったことと、夜行列車に乗るために北海道へ行く人が行かなくなってしまったのも、北海道の観光にとっても大きな損失だったかもしれません。(急行はまなすに乗り継げば早朝に札幌に着くことが可能でした。)
まいど舞香様作成「新幹線 路線網の歴史」
新幹線の路線網の歴史については以上です。今まで読んだ内容を動画で振り返ってみると面白いかもしれません。ぜひ動画の方も見てください。
今回日本全国の新幹線路線網発達の記事にご協力いただいたのは「まいど舞香」様です。今回「まいど舞香」様が作成された動画を記事化しました。この場をお借りして改めてお礼申し上げます。