今や山手線だけではなく、首都圏の通勤電車に「当たり前」に使用されている車体広告(ラッピング車両)はいつから始まったのでしょうか?

今回は2001年から開発・導入が行われていた「山手線で始まった車体広告」、駅の通路にある「デジタルサイネージの前身」、ドア上にニュースや運行情報・広告が表示される「トレインチャンネル」、この3つについて解説していきたいと思います。(デジタルサイネージ・トレインチャンネルは同じ項目で混ぜて説明します。)

最初に説明するのは「山手線の車体広告」についてです。意外とその歴史は浅く2002年12月に運行された「東京ミレナリオ」が一番最初でした。

【なぜ21世紀まで導入されなかった?】2001年に初めて首都圏で運転された「車体広告(ラッピング車)」

※写真の山手線は「2世代前の車両」で既に山手線からは引退しています。205系という形式の車両でした。(205系→E231系500番台→E235系)

山手線の車体広告の歴史は2001年からと意外と歴史は浅く、それまでは「中吊り広告」のみ広告が出されていました。

実際に2001年に運転された「東京ミレナリオ」が山手線で初めて導入された「車体広告(ラッピング車)」です。

「東京ミレナリオ」とは東京駅丸の内口から東京国際フォーラムの間で実施されていた「光の祭典(ライトアップ)」で、毎年12月に開催されていたものでした。現在も「東京ミチテラス」として毎年12月に行われています。関西の神戸ルミナリエに近いものが展示されていたようです。

まだこの時点で車体広告の効果が実証されていなかったため、当時JR東日本が特別協賛をしていた「東京ミレナリオ」の広告塔として、山手線の車体広告が実験的に導入されました。

2000年代は世の中にインターネットがあまり普及していない時代でしたが、1990年代に「導入しようと思えばできたはず」なのに、なぜこれまで導入できなかったのでしょうか?

車体広告が導入できなかったのは「東京都の条例」で禁止されていたから

実は東京都の条例によって「車体広告が禁止」されていたという歴史があります。そのため、1990年代でも導入はできたはずなのに、禁止がされていたため導入ができなかったというわけです、

しかし、2001年10月に「東京都 屋外広告物 条例施行規則」が改正され、「車体広告が解禁」になりました。

とはいえ、いきなり広告主を集めるのは時間がかかることが想定されるため、試験的な実施という意味でもJR東日本が特別協賛していた「東京ミレナリオ」が選ばれたのではないでしょうか?

ちなみに「東京都 屋外広告物 条例施行規則」とは次のようなものです。(平成30年改正版を掲載)

東京都 屋外広告物 条例施行規則とは?

第1項(基準) 車体利用広告物は、次の要件を満たすものでなければならない。

  1. 道路交通の安全を阻害するおそれがないもの。特に、高速道路を走行するものについては、安全面に十分配慮したデザインであること。
  2. 車両運行上の支障となるものでないこと。
  3. 都市景観との調和を損なうものでないこと。
  4. 広告物の掲出面積や表示位置は、東京都屋外広告物条例及び施行規則で定める規格の範囲内であること。
  5. 公序良俗に反しないこと。

第二項(禁止事項)車体利用広告物は、その広告物の色彩、意匠その他のデザインが、次の各号のいずれかに該当するものは、これを掲載しない。

  1. 運転者の誤認を招くような広告物
    1. 発光、蛍光、蓄光、反射効果を有する材料を使用するもの。
    2. 自動車の方向指示器や制動灯と紛らわしいもの。
    3. 信号機又は道路標識等の効果を妨げるおそれのあるもの。
  2. 運転者の注意力が散漫となる広告物
    1. デザイン構成がストーリー性のある四コマ漫画や映像表示となっているもの。
    2. 文字表記が縦書きであるもの。
    3. 車体後部の文字表記が多いもの、又は絵柄や文字が過密であるもの。
    4. 車体後部に電話番号やホームページアドレス等が記されているもの。
  3. 広告物が車体の窓又はドア等のガラスの部分に表示されているもの。
  4. 車両運行上の支障となる広告物
    1. 窓上部分に文字を記載するなど利用者から見てバス会社の識別を低下させるもの。
    2. 車体の排気口やスピーカー口をラッピングで塞ぐデザインとなっているもの。
  5. 各広告面の下地又は過半に赤色、黄色、黒色、金銀色又は夜間運行にふさわしくない暗い色は使用しないこと。

引用元:東京都屋外広告協会(第3項は省略)

実施にあたっては、鉄道車両の特性に鑑み、美観・景観に十分配慮しながら、お客さまに共感していただけるようなデザインとする予定です。

当時のJR東日本のコメント

当時のJR東日本は広告導入には慎重な姿勢で次のようなコメントからも、あくまで条例に違反せず「お客様の理解をまずは得ながら広告効果を確かめる」という姿勢が伝わってきます。

2001年12月に試験導入した「東京ミレナリオ」で効果が実証されたのか、その後2002年1月にはにはBS8局の車体広告が実施(車体側面のみ)導入され、その後正式に一般企業からも広告の出稿を受け付けることになりました。

【昔の方が安かった?】2002年1月から「ADトレイン」と称して車体広告を導入 1ヶ月の広告費は○○○○万円!

「ADトレイン」とはJR東日本で使用されていた車両広告の名称です。

「ADトレイン」はJR東日本独自の名称で一般的には知られていないので、今も使われているかは分かりません。(E電などと同じく現在は死語になっているかもしれません。)

1990年までは「車内広告を1社のみに統一して運転する」という意味合いで使われてきましたが、2002年1月以降は「車体広告・車内広告も1社に統一して運転する」という意味合いに若干変化が表れてきたものと思われます。

さて、2002年から正式に導入となり、JR山手線の車体広告に対して1ヶ月当たりの広告費が設定されました。

※ただし、当時は山手線52編成のうち最大12編成までと広告を制限していましたので若干異なります。このうちADトレイン2編成運行されていました。

2002年当時1ヶ月あたりのJR山手線の広告費はいくらだったのでしょうか?

これが当時JR東日本山手線の広告設定料金です。「3万円?」と思ったあなたは右上の単位を見てください。

「単位:千円」と書かれているので、「長期の3ヶ月で3000万円」、「短期の1ヶ月で2500万円」で発売されていました。

どんなに安くても1ヶ月1000万円はかかることになっていました。個人で払うお金としては高いですが、企業の広告費としては適切な値段だったかもしれません。

ちなみに今と昔の値段を比較すると3ヶ月で2編成3000万に対して、現在は1ヶ月1500万円で3ヶ月掲載すると4500万円となるので、1500万円高くなっています。

もちろん、導入当初は山手線の広告効果が、世間にあまり認められなかったこともあったので安い費用が設定されていたのかもしれません。

「車体広告」については以上です。

「次のページ」からは同時並行で行われていた「トレインチャンネル」駅通路の「デジタルサイネージの前身」について解説しています。

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