実は昔は東海道本線のルートが異なっていた 跡地はJR奈良線・名神高速に利用

現在は京都駅~山科駅の間は東山トンネルを通り、直線的に抜けることができますが、実は1921年までは別ルートで運行がされていて、大谷~稲荷~京都のルートで、京都の東山の山々を大きく迂回する形で運転されていました。

画像はグーグルマップから作成し、できるだけ旧線に近いルートを示しました。

画像からも分かる通り、大谷~藤森までの間は現在の名神高速道路のルートと一致しています。また、名神高速は旧東海道本線の築堤を再利用しているということで、現在もその痕跡が残っています。

旧東海道本線のルートはJR奈良線に編入 JR奈良線の旧ルートは近鉄京都線が再利用

一方で、稲荷から先の旧東海道本線の区間については、現在のJR奈良線のルートに使用されています。実はJR奈良線のルートについても1921年の旧ルートの使用停止とともにルートが変更されました。

1921年以前のJR奈良線は桃山付近から京都駅までは現在の近鉄京都線のルートを走っていました。

画像はWikipediaより

1921年にそれまでの奈良線のルートは、桃山駅から現在の近鉄京都線伏見駅方面へ線路が伸びていて、京都駅へは大阪側から入線するルートでした。それが東海道本線の旧ルートの廃止に伴い、JR藤森から先の旧東海道本線の跡地がそのまま奈良線として使用されることになりました。

しかし、奈良線の旧ルートは不要となってしまったため、後に京都~丹波橋間は現在の近鉄京都線の前身である、「奈良電」に払い下げが行われました。

旧奈良線は現在の近鉄京都線へ 巨椋池を迂回して作られた奈良線は近鉄京都線に苦戦を強いられることに

1928年11月には桃山御陵前~西大寺(現在の大和西大寺)駅間が開業したのち、京都~桃山御陵前間が開業し、現在の近鉄京都線の形が完成します。

しかし、近鉄京都線は比較的直線的に敷設されていたのに対し、奈良線は当時存在した巨椋池(おぐらいけ)があったため、大きく迂回をすることになり、現在も近鉄京都線と比較して不利な線形になっています。現在は干拓事業によって巨椋池は存在しませんが、かつての巨椋池だった場所には農地が残り、インターの名前としても残っています。また、小倉(おぐら)駅についても、かつて存在した巨椋池から取ったものとも言われています。

また、運行頻度や所要時間も近鉄京都線に劣っていたことから、奈良線は1984年まで気動車が走っていたくらいのローカル路線でした。

歴史を調べてみると、旧東海道本線と名神高速、JR奈良線と近鉄京都線が実は関係しているということが分かります。興味のある方は是非、旧線巡りもしてみてはいかがでしょうか?

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