今回はディズニーランドに行くときにもよく使われる路線である「京葉線」ですが、開業当初は「東京ベイライン」という名前を使っていたということです。
今ではあまり浸透していない「東京ベイライン」という名称ですが、どのように変遷していったかまとめました。
開業当初の1990年は「東京ベイライン開通」 小泉今日子がCMに
こちらは1990年京葉線開通時のCM
— 東京快速 (@TokyoRapidTrain) November 21, 2020
そういえば当初は「東京ベイライン」という愛称でしたね pic.twitter.com/TsJl5dLVaM
「あー、もう嫌になっちゃった。もっと東京ディズニーランドが近かったらいいのに。」という小泉今日子さんのセリフから始まるこのCM。この年のCMは、「嫌になっちゃった→もっとあったらいいのに→あーあー、驚いた」というのが一連の流れでした。
少し話はそれますが、京葉線沿線に本拠地がある千葉ロッテマリーンズ今岡選手の応援歌とJR東日本のCMと関係あるので、興味があれば調べてみてください。(これで分かる人はすごい)
どうして「嫌になっちゃった」と言っているのでしょうか?
実は東京ディズニーランド自体、1983年4月開業で、それまでは営団地下鉄東西線に乗って浦安まで移動、浦安駅からバス停まで10分歩き、そこからバスに乗るわけですがかなり遠く、一般道は大渋滞となっていて、行くだけでも大変でした。
それが京葉線が開通したことによって、東京から舞浜まで13分で乗り換えなしで移動できるようになりました。
どうして「東京ベイライン」という名称に?
ちなみに「東京ベイ」という名称は、浦安地区一帯の名称で、1985年から1990年あたりまでに建てられたホテルを中心に「東京ベイ」という名称がつけられています。
そこから、JR東日本は「東京ベイライン」と名付けたのではないでしょうか?
ちなみに京葉線は1990年3月10日以前にも京葉線は存在していましたが、1986年に3月には西船橋~千葉みなと間、1988年12月には蘇我~新木場間開業、1990年3月10日までは東京駅乗り入れは行っていませんでした。
東京ベイラインから「東京ベイシティライン」に改称
その後、京葉線が東京乗り入れを果たすものの、「東京ベイライン」という名前からさらに迷走する結果となりました。
当時、「うる星やつら」「犬夜叉」の漫画家でおなじみの高橋留美子さんがデザインした京葉線キャラクター・マリンをJR東日本は作りました。
京葉線の205系。
— しぶ(鉄道&バス垢) (@shibu_Train_BUS) February 4, 2020
残念ながら既に同線からは引退済みですが前面の種別幕が「快速」「各駅停車」共に使用されていたのが特徴的だったでしょうか…
東京までの全線開通からもまもなく30年になりますね。#205系の日 pic.twitter.com/TdYfJmVYxQ
当時「マリンです、どうぞよろしく」という今では考えられないヘッドマークも装着されていました。
ここで、注目していただきたいのは当時発売されていた「オレンジカード」という磁気券です。そこには「東京ベイシティライン」と書いており、なぜか「東京ベイライン」ではなくなっています。
ヘッドマーク自体1990年3月10日のダイヤ改正から装着されていますが、CMでの「東京ベイライン」から「東京ベイシティライン」に名称変更となっています。
現在では「東京ベイサイドライン」に
2015年にJR東日本は「京葉ベイサイドライン」という名称のプロジェクトを開始しています。
開業当初は東京ディズニーランドなどの「レジャー施設」を埋立地という土地柄なので多く作られてきました。そのため、JR東日本としては色がない・無機質なイメージを変えていくために「選ばれ続ける京葉線」としています。
その一環としてJR東日本としては「京葉線アプリ」という専用のアプリを制作していて、欲しい沿線情報を手に入れられるようになっています。
京葉線沿線に行った際には「京葉線アプリ」を活用してみると新しい発見があるかもしれませんね。