意外と知られていない乃木坂46の由来
Wikipediaより引用
皆さんは乃木坂と聞いて何を思い浮かべますか?
よくテレビでも見かける乃木坂46を思い浮かべる人が多いと思います。
今回は乃木坂の由来について考えていきたいと思います。
乃木坂46の由来は坂の名前
実は乃木坂は東京都港区赤坂にある坂の名前です。
場所的には表参道と赤坂の間にあります。
東京メトロ乃木坂駅
この坂の名前から乃木坂46の由来がついたとされています。
実はこの乃木坂、ある人物の名前が付いた坂ということは知っていますか?
乃木坂の乃木は大日本帝国陸軍大将の名前
乃木坂の「乃木」は大日本帝国陸軍の大将(最終階級)であった乃木希典(のぎまれすけ)の名前がついています。
かつて赤坂周辺には軍の施設があり、多くの軍人が移り住んだ地です。
乃木希典も赤坂の地に移り住むことになります。
乃木希典はどんな人物だったの?
乃木希典は様々な略歴がありますが、最も有名なのは日露戦争で旅順攻囲戦で指揮をとったことでしょう。
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旅順攻囲戦は日露戦争の戦争の中でも激戦で多くの犠牲者が出た戦いです。
実際に乃木希典の長男と次男も戦死しています。
多くの犠牲者を出し、結果的には舞台となった203高地の要塞を制圧し、ロシア軍が抵抗できなくなったので降伏した形になり、結果的に勝利しました。
この戦いは203高地という映画にもなっています。
興味がある方はみてみてください。
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その後旅順要塞を陥落させた後に要塞司令官ステッセリと会見(水師営の会見)を行います。
この会見では乃木希典は武士道を重んじ、紳士的に振る舞い、敵将とも酒を飲んで打ち解けたといいます。
また、写真からもわかる通り、通常敵将が刀を持つことは許されませんが、「敵将(ステッセリ)に失礼ではないか。後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ」といい、このように敵将も刀を持って写真を撮っています。
このことは日本国内でも称賛され「水師営の会見」という歌も作られ、また、当時の国定教科書にも掲載されました。
www.youtube.comまた、このことは日本国内のみならず、海外でも称賛されることとなります。
敵国ロシアの敵国ロシアの『ニーヴァ』誌ですら、乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載したほど、評価が高かった。
ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニアおよびイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与されたほどである。
日露戦争後、のちの昭和天皇が学習院に入学することから、明治天皇の勅命により学習院の院長に就任し、ここでも乃木希典の人柄の良さから慕われることとなります。
実は乃木希典は多数の将兵を死なせてしまった自責の念から帰国前に自刃したいと明治天皇に伝えますが、「せめて、私が死んでから死んでくれ」という趣旨の返答を得たため、自刃はしませんでした。
そのため1912年に明治天皇が崩御すると後を追って自刃しました。
このことから、当時幽霊坂と呼ばれていた坂を乃木希典大将の名前をとって乃木坂と名付けたわけです。
まさか、幽霊坂46とはならなかったでしょうけど、神楽坂とか別の名前になっていたかもしれませんね。
乃木坂の名前には国のために戦った多くの日本人がいたことや、乃木大将がいたことを忘れないでください。