2020年3月27日をもって長崎駅の地上駅が終了しました。今回は地上駅時代の長崎駅の様子と地上駅から発車する最終列車に乗ってきたということで、鉄道系Youtuberのスーツさんに許可を得て今回動画本編を一部抜粋して記事化を行いました。
なぜ長崎駅は地上駅が廃止になってしまったのか?駅舎移転でどうなる?
今回長崎駅の地上ホームが終了し、画像右側にある高架駅に切替が行われました。これは2022年に開業する長崎新幹線(武雄温泉~長崎間)に合わせて在来線ホームも新幹線と同じ高架駅にするため、今回地上駅を廃止して切替を行うという作業が行われました。
画像左奥が高架後に使用されている長崎本線の駅で撮影したときはまだ開業前ですが、照明がついていることが分かります。
また、今回の高架駅の使用開始で人々の往来を妨げていた踏切は廃止されました。
1960年代では貨物駅を併設する巨大駅だった
かつての長崎駅は画像右側にある貨物駅を併設する巨大駅でした。また、現在は埋め立てられて陸地がもう少し画像の下側に伸びていますが、当時の写真から海のすぐそばまで線路を伸ばして設置していたことが分かります。右側が地上駅時代の長崎駅ですが、高架化された長崎駅は中央へ移転することになります。
駅舎移転で路面電車とJRの乗り換えは不便?長崎の人は不便と感じる
こちらは今回廃止となった地上駅と新たに設置された高架駅との位置関係の図です。路面電車の走る国道202号線から大きく離れることが分かります。現在は移転に伴う暫定開業で当分の間は旧長崎駅付近から新長崎駅までは仮設通路で結ばれ、そこを歩いていく形になります。
こちらは長崎新幹線開業後のイメージ図です。かつての地上駅だった部分にはバスロータリーが設置され、バスとJRについては利便性が今より上がったと感じる人もいるかもしれません。ただ、JRと路面電車を乗り換える場合、現在の計画のままだと駅舎まで乗り入れは行わず、電停の位置も現在の場所のままとなっています。そのため、JRの高架駅から電停までは歩かなければならないため、今より不便になってしまいます。これについては長崎の人も口をそろえて言っているそうです。
今後旧駅舎や一部商業施設などは取り壊される予定
今後長崎駅の4代目駅舎については取り壊しが行われるほか、長崎駅の象徴である大きな屋根と長崎駅と商業施設に挟まれている建物(ロイヤルホストなどが入っている)については取り壊しになる予定です。
長崎駅の過去の栄光の跡が地上駅には残っていた
こちらの画像はかつての地上駅です。2番のりばと3番のりばの間には中線がありますが、ここにも長崎駅の過去の栄光が残っていました。
これは長崎駅から隣の長崎港(ながさきみなと)駅まで路線があったものの名残で、長崎から上海までの航路が存在し、その連絡列車が運転されていた歴史があります。戦中の1942年には一時特急富士が長崎駅から延長運転する形で入線していましたが、戦局悪化で1943年には特急富士は博多まで運行区間を短縮、同年には「上海丸」が揚子江で沈没し、戦中の上海航路としての役目を終えました。
2008年に廃止された最終的に京都~長崎間を結んでいた寝台特急「あかつき」の機回し用の停車目標と思われる文字もホーム上にありました。その他かつてJR九州の特急列車の主力だった485系の跡も残されていましたが、地上ホーム廃止とともに姿を消しました。
そして長崎駅地上ホームから発車していく最終列車 地上線は廃止へ
長崎駅地上ホームからの最終列車では駅長さんが敬礼をして見送る光景が見られたほか、普段は車掌さん1人しか乗務しないようですが、最終日ともありJR九州の社員さんが便乗していく光景も見られました。やはり今回の地上ホーム廃止は特別な思いがあったと思います。
そして、多くの人々・マスコミが集まる中で駅長さんが最後に挨拶をし、長崎駅地上駅は営業を終了しました。長崎駅の地上駅には特別な思いを持った人が多かったんじゃないでしょうか。
ここまで記事をご覧いただきありがとうございました。今回の記事は鉄道系youtuberのスーツさんに許可を頂き記事化したものです。あえて記事の中で紹介しなかったものもありますので、是非動画の中でご確認ください。