2020年8月13日、近鉄6020系C51編成が五位堂に入場しました。

しかし、今回の五位堂入場で近鉄6020系C51編成に行われてきた「ラビットカー色」が消滅してしまうのではないかという懸念がされています。

【近鉄6020系C51編成】五位堂入場回送の様子

(撮影:名張撮り鉄さん)

近鉄6020系C51編成の前後にはモト90形電動貨車が連結され伴走する形となって輸送されました。

さて、近鉄6020系C51編成はオレンジ色に白帯の「ラビットカー色」が施されています。

しかしながら、ラビットカーの塗装が剥がされているという情報も挙がってきており、「終了になってしまうのではないか」と懸念の声も挙がっています。

あくまで確定ではないですが、「もしかすると終了になるのではないか」というのではないかということですので、今後の動向が注目されます。もし、終了されれば2012年の塗装開始から8年で終了することになります。

「ラビット」が誕生した理由とその由来とは?

「ラビットカー色」はオレンジを基調とした配色で「かつて」南大阪線の通勤車両に使用されていた色です。

まずは「かつて」の話をしましょう。現在復刻塗装がされているのは「6020系」という形式で、かつては「6800系」という形式にラビットカー色が使用されていました。

「6800系ラビットカー」は1957年9月に誕生した新性能電車で起動加速度・減速度が共に4.0 km/h/sもあるという「日本初の高加減速車両」でした。これは大阪阿部野橋~矢田間の輸送力増強のために、高加減速度で設計されました。

「阪神ジェットカー」に近いコンセプトで、高加減速度を生かし「急行列車と同じ所要時間で普通列車を走行させる」ことを実現するというものでした。(1年後に阪神5001形初代ジェットカーが誕生するまでは起動加速度・減速度で日本一)

ただ、朝ラッシュ時混雑の激しい矢田→大阪阿部野橋間でモーターに定格出力を超える高負荷をかけていたため、逆にほぼ空車に近い大阪阿部野橋→矢田はモーターを冷却する運用だったため、常に「カタログ通り」の高加減速で走行できたわけではなさそうです。

また、ラビットカー色の由来について『高加減速で各駅停車で走行する姿を跳び走る兎にたとえ、愛称を「ラビットカー」と名付けました。』と近鉄公式サイトに書かれています。

実は一時期消滅していた「ラビットカー色」 気になる今後の動向

1987年に6800系が団体専用列車として「ラストラン」となり、一度ラビットカー色は消滅になった経緯があります。

ラビットカー色は廃止になっていましたが、2009年9月~11月まで養老鉄道線で、近鉄でも2012年の「吉野線開業100周年記念」の復刻塗装が実施され復活しました。

中でも「吉野線開業100周年記念」で行われた「ラビットカー色」復刻塗装は、2012年のイベントの終了後も2020までの約8年間継続して復刻塗装のまま運転されてきました。

しかし、ネット上には「ラビットカー色」が剥がされているという情報も挙がっており、終了の可能性もあります。(逆に終了してしまう確証はないため、あくまでも懸念です。継続するかしないかについての情報は今のところありません。)

もし、消滅しまったら残念なことですが、逆にこれまで8年間も復刻塗装を続けてくれた近鉄には感謝すべきかもしれません。

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