キハ66-67シーサイドライナー

6月30日、JRの現役気動車の中で最古参の車両だったキハ66・67が引退のときを迎えた。1975年の登場から46年。専ら九州の非電化区間で活躍した顔が一線を退くのだから多くのファンにとっては寂寥の思いを抱えている事であろう。幸いにして私は、引退を間近に迎えたキハ66・67に短区間であったが乗ることができた。その乗車記を短いものではあるがまとめていきたい。

キハ66・67とは?

初めに、キハ66・67がどのような車両であるかについて、簡単に触れておく。

キハ66・67(以下キハ66)は1975年、新幹線の博多延伸に伴い、筑豊地区の新幹線アクセス列車として15編成30両が投入された気動車である。車両は2扉で車内は扉付近がロングシート、その他は転換クロスシートとなっており、空気バネ台車を装着し、冷房も完備していたこともあって、当時の急行形気動車の主力だったキハ58を上回る接客設備を備えていた。キハ66の登場当初、転換クロスシートは、阪急の2800系や6300系、京阪の3000系、南海の1000系、名鉄パノラマカーこと7000系、7500系、西鉄の2000形など大手私鉄では積極的に導入をしていたが、国鉄では0系新幹線のみということもあってか、一般形気動車にこのようなサービスを提供することは、国鉄ではある意味革新的なことであった。また、エンジンも大出力440馬力の12気筒エンジン(DML30HSH)を搭載するなど、急行形車両に匹敵する性能を有し、実際に日田彦山線、久大本線では急行「日田」や「はんだ」に用いられていた時期もあった。1976年には鉄道友の会ローレル賞を受賞している。

その後1987年の分割民営化を経てJR九州に車籍が移った後は、平成に入ってからの1990年代にエンジンの換装や変速機の交換を経て、引き続き筑豊地区で使われていたが、筑豊本線(折尾~桂川間)と篠栗線の電化に伴って全車が長崎に転属し、以来20年以上の長きに渡って長崎~佐世保間の快速シーサイドライナーを中心に長崎県内の都市間輸送に充当されて活躍した。そして令和に入ると、後継のハイブリッド車YC1の投入に伴って廃車が進行し、そしてこの度の引退と相なったのである。

36ぷらす3から念願の初乗車まで

折り返し作業中のキハ66。

今回、初めてキハ66に乗ることが出来たのは、拙著「電車で学ぶ英会話」の営業を目的としてD&S列車の36ぷらす3に乗車し、長崎へ向かっていたという絶好のタイミングがあったからである。36ぷらす3の長崎到着は15時38分。そこから博多に戻る20時前のかもめ42号までは4時間強の時間があったので、行ったことがなかった平和公園やちゃんぽんの有名店「思案橋ラーメン」、鯛めしで高名な割烹「御飯」のいずれかに向かうという選択肢があったが、キハ66の引退が脳裏をよぎったのである。「もうこれが最後ではないか。」という思いもあり、長崎駅で下車した後、暫し次の目的地を考えていたのだが、キハ66の乗車を決断した。ここまで約40分。結構迷ったが、食事はまたの機会ということで悩んだ結果である。

最初で最後の乗車(長崎~長与)

乗ると決めた後は、再び長崎駅の改札を通り頭端式の4番線に移動する。停まっていたのはキハ66。ディーゼルの独特の香りがエンジンの回転音とともにホームに漂う。ドンピシャのタイミングであった。その前後の列車についてもスジなどを調べてキハ66の乗車チャンスを模索したが、16時56分の長与行きの前の佐世保行きはYC1であった。YC1は今後のJR九州の非電化区間の主力となる一般型ハイブリッド車である。1番線のYC1を横目に4番線に停車中のキハ66に乗り込む。転換クロスシートはモケットが市松模様のデザインのものに張り替えられていたものの、原形をほぼ留めていたので乗り心地は1970年代当初のものを楽しめた。短時間乗車としては疲れにくいシートで、人間工学を考えて設計をされたものであろう。

キハ66・67の車内

キハ66の車内。転換クロスシートは登場時のものがそのまま使われている。

910mmのシートピッチも当時の在来線特急車と同じで、ひいてはディーゼル特急だったキハ80形やキハ181系とも勝負できるようなアコモデーションだったのである。これは、昭和50年代の車両としては破格のグレードであったことを示す証拠だ。車内はオリジナルの薄緑色のままで当時の国鉄近郊形・通勤形電車、暖地向けの気動車と同じ配色であった。そのため、乗車中は少し暗い印象を受けたのだが、新製時はフレッシュな色合いであったのかもしれない。

エンジンは直噴エンジン(DMF13HZA)に換装されていたので、他の地域で走っている気動車のエンジン音とそんなに変わらない印象であった。製造当初に搭載されていたDML30HSHは、特急形キハ181系のエンジンをマイナーチェンジして設計されたもので、発車時の轟音もすごかったと耳にしたことがある。私はキハ181系については、播但線と山陰線で走っていたはまかぜで僅か2回しか乗ったことがないので印象が薄いのだが、英国留学中に乗車したHST(High Speed Train)の轟音を聞いたことがある身としては、その迫力は比べる価値があると思った次第である。参考までにHSTは今も現役で稼働していて、スコットランドの主要都市を結ぶインターシティなどで乗ることが出来る。コロナが収束し、英国の鉄道に乗る機会があったら、HSTは是非乗って頂きたい。HSTのエンジン音はヘリコプターの離陸にも相当するほどの凄まじい音を出すので、初めて遭遇すると驚くかもしれない。

しばらく車内を撮影すると、発車時間になって扉が閉まり長崎を出発する。エンジンと変速機を交換していることもあって加速は割とスムーズで、電車並みとはいかないまでも伍して走れる性能はあると感じた。実際、長崎本線の長崎~諫早間では最高速度の95km/hで快走するシーンを体感することができる。

運転台後方に座席はなく、ヒーターカバーが両側に設置されている。

浦上を発車後、列車は長崎本線の旧線に入る。新線の長崎トンネルを横目に上り坂に差し掛かるが、エンジンを換装した車両だけに上り坂も減速することなく上っていく。西浦上、道ノ尾、高田と駅間距離の短い区間を小まめに停車。列車は長崎市を跨ぎベッドタウンの長与町に入る。旧線もラッシュ時は概ね30分ヘッド、日中も1時間ヘッドと比較的利用者は多い。特に高校生や大学生の利用が多いのが特徴である。沿線には高校や大学が点在していて、貴重な移動手段として重宝されているという印象を受けた。長崎から17分、終点の長与に到着。終点まで乗客が多く、一部は立ち客も見られた。折り返し時間は14分。この時間を使って撮り切れていなかった車内の撮影を行う。運転席後方のシートはワンマン運転に対応するため撤去されていて、がら空きのスペースになっていたが、ラッシュ時の乗客を捌き切るのに貴重な役割を果たしていた。

キハ66はキハ67と2両1ユニットで運用されていて、2両ユニット毎の連結は可能だが、キハ66とキハ67のユニット間に他の車両を連結できない構造になっている。そのため、閑散区間や輸送力に大きな差がある区間では使いづらい事情がある。そう考えると、単行から3両、4両でも運用できるYC1は長崎地区では最適な形式なのであろう。ステンレス車体であるので、旧線を走る際の塩害についても有利に働く。こういった輸送事情も置き換えを後押ししているように思えた。

乗車してのキハ66の印象

キハ66は旧国鉄型車両であるが、完成度が高く40年以上に渡って使われてきても乗り心地はJRの車両と大差ないと感じた。その一方で内装やアコモデーションについては、登場当時は斬新なものであっても半世紀近くを経過していたら今の車両とは明るさ、華やかさについては大きな差があると実感する。近年は水戸岡鋭治氏や奥山清行氏など、有名デザイナーが手掛けた車両が多く、京成のスカイライナーに至ってはファッションデザイナーの山本寛斎氏のプロデュースである他、西武のラビューは建築家の妹島和世氏のデザインが採用されている。同じく西武のレストラン列車52席の至福は、新国立競技場の設計にも携わった世界的建築家の隈研吾氏が関わっている。JR四国でものがたり列車の改造などを担当している社員デザイナーの松岡哲也氏も実力派だ。

逆に、国鉄型車両は昔ながらの無骨さが特徴となってきたからこそ味が出てきていて、今後希少価値が高まってくるのではないだろうか。その希少価値に目をつけたのが、千葉のいすみ鉄道である。きっかけとなったのはブリティッシュエアウェイズの日本支社で管理職も務められていた鳥塚亮(とりづかあきら)氏が社長に就任してからである。鳥塚氏は英国の鉄道事情にも詳しく、保存鉄道の有益性を熟知していたからこそキハ52やキハ58を購入し、レストラン列車として走らせたことが大きな成功を読んだ。これに続いて水島臨海鉄道がキハ30、キハ37、キハ38をJR東日本から譲り受けて現在もラッシュ時の通勤通学輸送に充当され、ファンの来訪を呼んでいる。

灰皿の撤去跡。登場当初は灰皿が設置されていた。

これ以降、2020年代に入っても国鉄型車両の譲受は各地で行われ、第3セクターの北条鉄道は五能線で使っていたキハ40を1両購入し、整備の上で来年から運用を始めるとの報道があった。鉄道を持つ兵庫県加西市は、キハ40を町おこしの一環として活用する計画で、これは他の自治体にもゆくゆくは波及していくものと考えられる。えちごトキめき鉄道でも、いすみ鉄道で沿線の活性化に奮闘した鳥塚氏を社長に据えてからは急行型の455系と413系を嘗ての急行色に復刻させて沿線で走らせることにしていて、上越地区の町おこしに活用していく予定だ。

車体には傷みが 限界が来ていた

車体は傷みが激しく、極限状態であることが容易に判る。(長与にて)

長与駅で撮影中、キハ66の車体を見ることが出来たが、雨樋や外板がかなり傷んでいて錆も目立つなど、車両の状態が限界にきていることが伺えた。安全を考えると、YC1へのシフトは早かれ遅かれ不可避だったのかもしれない。その中で国鉄型の車両を使ってのツーリズムや観光業の活性化は、地方自治体にとって新たな観光客の集客のトレンドとなるかもしれない一つと思った次第である。

キハ66からYC1へ

YC1。JR九州の非電化区間における新世代車両。(大草にて)

長与からは後続の佐世保行きに乗り継いで諫早まで向かった。後続の車両はYC1の2両。キハ66と同じく初乗車である。最新型だけあって、環境に配慮した設計になっている。初めはVVVFインバーターの静かな音で加速し、45km/hぐらいからディーゼルエンジンに切り替わる。騒音や車内の静粛性もキハ66や既存のディーゼルカーと比べて進んでおり、乗り心地は良好である。夕陽輝く大村湾沿いを走行し、新線と合流すると喜々津に到着。喜々津を発車後は速度も100km/h近くまで上げて諫早まで快走。18時10分、諫早に到着。諫早で一度下車し、ここから長崎行きの各駅停車で浦上まで戻る。

18時25分発の長崎行きもYC1。キハ66を待っていたのだったが、残念ながらこのスジはYC1に置き換わっていた。YC1はタイミングよく先行試作車を繋いだ3両でやってきた。YC1で辿った道を戻る。上り坂でノッチオン。余裕を持って加速をしていく。半世紀を経ての技術の進化、性能の向上は目を見張るものがある。非電化区間を走る車両も電車の性能に比肩するまでになり、ダイヤを組む上でのネックが取り払われたような気がする。途中、大草でキハ66の4連と行き違い。大村線を1日かけてロケハンすればキハ66に乗車するチャンスはいっぱいあったのだが・・・。

18時25分発の長崎行きもYC1。キハ66を待っていたのだったが、残念ながらこのスジはYC1に置き換わっていた。YC1はタイミングよく先行試作車を繋いだ3両でやってきた。YC1で辿った道を戻る。上り坂でノッチオン。余裕を持って加速をしていく。半世紀を経ての技術の進化、性能の向上は目を見張るものがある。非電化区間を走る車両も電車の性能に比肩するまでになり、ダイヤを組む上でのネックが取り払われたような気がする。途中、大草でキハ66の4連と行き違い。大村線を1日かけてロケハンすればキハ66に乗車するチャンスはいっぱいあったのだが・・・。

YC1の車内 ボックスシート

YC1のボックスシート。量産先行車と量産車ではテーブルの有無など、仕様が若干異なる。

19時4分、浦上に定刻通り到着。ここで夕食の調達のために一旦下車する。浦上駅はホームの前後が仮のものになっていて、西九州新幹線開業後はホームが4両対応に短縮される見込みとなっている。6両以上の特急を撮影出来るのも今のうちだ。夕食を調達後、19時55分発のかもめ42号で福岡に戻る。引退まであと1か月を切り、乗車チャンスは明らかに減っていたが、何とかぎりぎりスケジュールに組み込んで乗れたのは大きかったと振り返っている。

浦上駅のホーム。西九州新幹線開業後はホームが短縮される予定で、端部は仮ホームになっている。

まとめ

キハ66は引退まで46年間に渡って稼働し続けてきたが、この形式の引退は残っている旧国鉄型気動車の耐用年数、ひいては去就を考える上での一つのベンチマークになると予想している。特に考慮すべきなのがキハ40であろう。キハ40は製造初年が1977年とキハ66と僅か2年しか変わらない。JR各社では古くなった気動車の置き換えが現在進行形で進んでいるが、堅牢な設計でエンジンや変速機を換装している車両が多いことから約500両がまだ現役で稼働している。大量254両を保有しているJR西日本のものでもエンジン取り替えや延命工事が行われてはいるが、製造から40年以上経過している車両がほとんどで、老朽化の問題はやはり避けられない。耐用年数を極限まで見積もってもおそらくは50年が限界であろう。

その根拠となるものがキハ20とキハ58の稼働年数である。1000両以上が製造されたキハ20系列は1957年に登場して2010年まで53年、1823両が製造された急行形のキハ58系列が1961年から2018年まで57年稼働しているから、これらと照らし合わせると、キハ40も車体を弄っているとはいえ、今後は老朽化との戦いになっていくのは確実である。以前、キハ47を使った観光列車etSETOraに乗ったときにアテンダントさんとの話を聞いたのだが、10年ほどは使うと言っていたので、これと合わせると旧国鉄型車両は今後、全国的に淘汰のスピードが速まっていくのではないだろうか。車両更新に消極的だったJR西日本でも新型電気式気動車DEC700形の先行試作車がベールを脱いだ今、中国・山陰地方の鉄道にも世代交代が早かれ遅かれ訪れることであろう。

1987年の分割民営化から34年、現在のJR車と旧国鉄車との割合は新幹線、電車、気動車と合わせておおよそ9:1となっている。つまり、30年以上で20000両以上が置き換わった計算だ。しかし、車両更新には多大な費用が必要である。鉄道車両1両当たりの製造費は昭和時代と比較して値上がりしていて、1両当たり約2億円かかる。これが特急車や振子などの特殊な装備がかかると3億から4億に跳ね上がるから、財務基盤の弱い会社になると、新車の導入はなかなかハードルが高いのが実態である。

しかしながら、運輸業は安全が生命線である。人命を扱う事業であるので、古い車両を後世に残していくことも大事ではあるが、安全重視の車両更新や新車の投入は不可欠でもある。これからも地域に根付いた運営を行っていくためには、魅力ある車両を提供していくことも考慮すべきことではないだろうか。乗ることが旅の目的になる観光列車は、その一例である。一方で質の高い地域輸送を確保していくことは、乗客を繋ぎとめるためにも必要な手段であるので、今後は車両の魅力をどのようにして伝えていくか、または残していくか、安全と路線の価値向上を両立させて考えて頂きたいと願うばかりである。

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